ここ何年も使っていないのに、突然スケジュール帳が欲しくなっています。今もメモ帳は持ち歩いていますが、それは本当に普通のメモ帳。日にちとかカレンダーとかはついていません。昔はスケジュール帳を愛用していた時期もあったんですが、事務職を辞してから使うのをやめてしまったんですよね。友達との予定はまあそう頻繁にはないし、覚えておけばいいかなって思って。……別にさみしい子じゃないですよ。たぶん。忘れそうなときは自室のカレンダーにちゃんと丸つけますからね。さて、こんな私ですが、スケジュール帳があったら使うか否か。ちょっと悩んでいます。メモに書いていることを書きそうな気もするし、めんどくさくて使わない気もするんですよね。買うならそこそこいいのが欲しいしなあ……。友達が使っているほぼ日手帳というのに憧れているのですが、手帳にしては結構なお値段なのです。でもそれ、なんか使い勝手がよさそうなんですよ。ただ私が、果たしてそれを活用するか……。うーん。こうしてなかなか結論が出ない問題を、ぐるぐる考えています。本当は予定のほかにも読んだ本とか書き留めておきたいんですけどね、絶対続かなそうな予感がするんですよ……大ざっぱな自分の性格がうらめしいです。

女性は恋をするとキレイになると言われますが、それは本当ですね。周りにいる女性で、最近キレイになったな、と思うと好きな男性がいたり、恋人ができたりしています。恋をすると、女性ホルモンが活性化するので、女性はキレイになるそうです。確かに、好きな男性の言葉一つで悲しくなったり、喜んだり、また恋愛中は心も敏感になるので、感受性が高まりいろいろなことを感じやすくなりますよね。恋をしていると涙もろくなったりします。そういった感情の波も、女性を美しくする理由でしょうね。
また、彼の目に誰よりも美しく写りたい、という思いがとても強くなりますから、ダイエットにも励むことができるし、メイクにも力が入ります。好きな彼の前で、枝毛なんて見せられないし、ニキビや吹き出物などで肌が荒れているのも嫌です。そういったことにも細心の注意を払いますね。
そんな乙女心がなくなると、女性の美しさは消え失せていきます。誰も見ていないからといって、ムダ毛の処理も中途半端、太っても気にならない、メイクも面倒になったりします。それではいけませんね。自意識過剰になることはありませんが、常に誰かに見られている、と思い込むことも女性がいつまでもキレイでいられる秘訣でしょうね。

週に1回か2週間に1回、スポーツジムでストレッチをしてもらいます。スポーツマッサージとも言うのですね。どちらかというと、押すとか揉む、というより体を伸ばしてくれるものです。股関節を回したり、肩甲骨をほぐしたり、その時々によって腕をマッサージしてもらったり、腰をマッサージしてもらいます。自分ではそこまで伸ばせないので、とても気持ちがいいです。時にはとても痛いことがありますが、しっかりやってもらうと、足がとても軽くなります。
普通のマッサージに行くと、必ずといっていいほど揉み返しが来てしまいます。一度、あるマッサージ店でマッサージをしてもらったら、30分も経たないうちに気持ちが悪くなってしまったほど。強く押してもらうのが好きなので、そう伝えたところ、かなり強くやってくれたのですが、相当の揉み返しも来てしまいました。なかなか難しいものです。
ところが、そのスポーツマッサージというものは、揉み返しが来ません。揉んでいないので、当然なのですが。ストレッチを受けた後は足のむくみが取れ、靴もゆるゆる。全身が軽くなります。頭もスッキリして気分もよくなるのです。
ストレッチは自分でやるのも大事ですが、時には他人にやってもらうのもとても気持ちがいいですね。

“オトナ思春期”などと呼ばれている更年期。女性にとってほとんどの人は避けられないものです。数年前、お花のお稽古に来るおばさま方が更年期のことについて、いろいろ話をされていました。その時私は何のことかさっぱり分からなかったのですが、今思えば更年期障害のことについて、話しをされていたのです。
顔がほてったり、イライラしたり、肩こりがひどくなったりと、さまざまな症状を起こす更年期障害。個人差も大きく、ある人はほとんど感じなかった、という人もいて、またある人は5年以上も情緒不安定になったり、さまざまな症状に悩まされているという話も。そういえば母親もホットフラッシュに悩まされていたことがありました。急にカッーっと顔がほてって、汗が滝のように流れるのだそうです。化粧もできない、とぼやいていました。
まだ自分は更年期と呼ばれる年ではありませんが、最近では更年期は若年化しているとも言われています。自分にとってもそれほど先のことではないかもしれません。更年期はちょっと怖いですが、今から体調を整えていくことが必要ですね。無理をしてダイエットをしたり、睡眠不足を続けたりしていてはいけないですね。いつまでも若くない、ということを肝に銘じて、体をいたわっていかなくては、と思います。

私は仕事でたまにビジネスホテルを利用することがあるのですが、いつも気になっているのは、ホテルの室内ってだいたい聖書が置いてあるのです。デスクの引き出しの中に入っている時もありますし、小さな本棚が添え付けられていて、そこに数冊の聖書が置いてある時もありました。なぜホテルに聖書なのだろう?と、ちょっと調べてみたら、クリスチャンは寝る前に聖書を読む習慣があるそうなのです。それで、キリスト教会がホテルに聖書を寄付しているのだそうですよ。てっきりホテルのオーナーが、キリスト教を布教していると思っていました。各ホテルに必ずあるし、ホテル経営者はキリスト教限定なのかな?と思っていたぐらいです。そういえば、私が学生のころ、キリスト教の友人がいましたが、寝る前に聖書を読んでいるようなことを言っていました。
私は仏教なので、聖書には縁がないのですが、この前初めて聖書を読んでみました。人としての生き方や、心の置き方など、とても良いことがたくさん書いてありました。キリスト教の信者さんでなくても、聖書を読めば何かが変わりそうな気がする、そんな気持ちになってしまう本でした。
最近の聖書は、現代の人にもわかりやすい表現で書き直しされているそうで、神様のことがわからない私でも、わかりやすかったです。

運気を上げようと思って、「運気があがる本」を読んで勉強してみました。この本は、大きく運気は上がらないけど、ちょっとした毎日の工夫で運気をあげる方法が載っていて、少しの気遣いで運気が上がるという内容でした。
例えば、「飲み物の2杯目を注ぐときは必ずカップを洗う」これってついそのまま注いでしまいますよね。私は会社でも家でも、飲み物はまとめてたくさん作り、その都度カップに継ぎ足して飲んでいたのですが、1杯目の残りはもう「汚れ」になってしまうのです。その汚れの上から注いでしまっては運気も下がってしまうのだそうです。
灰皿も同様で、私はタバコは吸わないのですが、いっぱいになった灰皿の吸い殻だけをポイとゴミ箱に捨てて、汚れたままの灰皿でまたタバコを吸う・・・これも運気下降なんだそうです。吸い殻を捨てたら灰皿もきちんと洗って、きれいになった灰皿を使えば運気上昇なんだそうです。
また、夏の風鈴は涼しげな音色で、耳にとても心地いいのですが、風鈴をいつまでもしまわないで秋までつけていたり、または一年中つけっぱなしなのは、金運下降だそうです・・・これを見てちょっとドキッとしたのですが、風鈴は一年中ベランダにある私の部屋・・・いいかげん注意しないと運気下降しちゃいそうです。

まだまだ「ぼけ」とはほど遠い年齢なのですが、「ぼけ防止」にはどんなことをすれば効果的なのかが書かれた小冊子があったので、読んでみました。ぼけないようにするには交友関係を広めておしゃべりしたり、趣味に夢中になる時間があったり、いろいろあるのですが一番手軽で毎日できることは「どんどん書くこと」なんだそうです。指先には神経が一番集まっていて、ここを動かすと脳の若さが保てるのだそうです。そういえば指先を動かしてると良いって、聞いたことがあります。
近年はペーパーレスの時代で、あまり文字を書かなくなってきましたが、やっぱり書くということは、指先にも脳にも精神的にも良いのだそうです。肝心の「なにを書けば良いの?」ということですが、書くことは何でも良いのだそうです。テレビでタレントさんが話していることを書いても良いし、好きな歌の歌詞を書いても良いです。とにかく毎日文字を書くことが大事で、どんどん書いている人は、ほとんどぼけないのだそうです。それでも何を書いて良いかわからない人は、新聞紙の文字のなぞり書きです。小さな文字が見えなかったら、見出しで良いのでマジックやペンなどで、上からなぞっていくのです。これだけでも全然違うそうですよ。

社会人になってからはさすがにありませんが、中学や高校の頃、はまった小説の登場人物に影響されて、その人物の真似をしてみたことってありませんか。ファンタジーとかあまり現実とかけはなれた世界の真似はできませんが、学校を舞台とした小説で自分が憧れる登場人物に自分の立ち居振る舞いを寄せてみたり、そんなことってないでしょうか。真面目なのか堅いのか、家庭環境がそうだったからなのか、あまりはっちゃけられなかった私にとって、憧れを抱くのは小説のなか、というパターンが多かったように思います。今思い返せば、もったいないことをしたなあという気もしますが。だから、できないからこそ、小説の真似をしたくなったのかもしれません。現実の学校は、やっぱり現実なのでいろいろ問題も多くて、残念ながら憧れの先輩とか、同級生とかいなかったんですよね。もちろん友達はいましたし、友達のことは大好きでしたが、まさに小説に出てきそうな、憧れる対象というのがほしかったみたいです。無い物ねだりかもしれませんが。というわけで、傍で見ていてどうだったのかは分かりませんが、私のなかでは、中学、高校の頃というのは、定期的に目指すキャラの方向性が変わっていたみたいです。

私のお気に入りの小説家さんのなかに、食べ物をすごくおいしそうに描写する人がいます。食べ物がメインテーマなわけではなく、メインのストーリーは全然別にあるのですが、さり気ない食卓のシーンとか、すごくおいしそうなんです。でも、小説で食べ物をおいしそうに表現するって、すごい描写力だなと思います。漫画や、アニメや、ドラマや、映画や、視覚情報がともなうものであれば、もう少し表現の幅が広がると思うのですが、文章だけで、読者の想像力のなかにおいしそうを作るというのは、なかなかできないんじゃないかと思います。その小説家さんが描くのは、決してグルメや特別な食べ物ではなくて、本当に、家庭の料理だったり、商店街で買ったお菓子だったりするんですが、読んでいると思わずお腹が空くというか、同じ物を買いに行ったり、作りたくなったりします。文章が凝っているわけでもなく、何でかなあと思っていたのですが、その食べ物が出てくる場面と、登場人物の心情やら状況やらが、一番印象的にしっくりくる組み合わせなのかもしれません。食べ物って記憶に残りやすいので、違う人に同じ食事の場面で感想を聞いてみたら、同じ印象的でも、抱く感触は違ってくるのかもしれません。

自分の地元が舞台となった小説というのを見つけました。実家に帰省しているときに、街の図書館で紹介されていて、そのときはタイミングが合わず読めなかったのですが、しばらくたってから近所の本屋さんで偶然見つけ、ぱらぱらっと見てみたところおもしろそうだったので、買ってみることにしました。私の地元は何の変哲もない田舎で、地元民にとってはそれなりに良いところもあるのですが、わざわざ舞台にするほどもない場所です。なので、小説の舞台としてどうやって使うんだろうと、そんな興味もありました。著者のプロフィールによると、地元出身の方ではないようですが、小説家になる前に会社に勤めていたときに、数年住んでいたことがあるそうです。それだけのご縁で舞台に選んでくれるとは、何となく嬉しい気もします。もちろん扱われ方にもよるのですが・・・・・・。そんなに長い話ではなかったので、さらっと数時間で読み終わりました。ぐっとはまるほど劇的なストーリーではないのですが、逆に、淡々とした日常というか、日々大切にしたいなと思えるような話でした。そんな話で、地元を舞台に選んでもらった理由が何となく分かる気がしました。すごく有名な方ではないのですが、それなりに著作があるようで、また舞台にしてもらえる機会があったら嬉しいなあと思います。